2018年08月23日
僕と私の愛車自慢240ZG
22日の折り込み広告にコラムを書かせていただきました。
旧吉城郡限定ですので、こちらにも載せておきます。
お時間ある方は、どうぞ。
↓

1959年生まれ Sさん
ニッサン フェアレディ 240ZG
私たちが、Sさんのガレージにお邪魔したのは、梅雨の晴れ間の事だった。
広いガレージには、240Zと32のGTRがタイムスリップしたかの様にピカピカの状態で鎮座している。
ガレージの奥には、仲間達と悪巧みしたり、篭って作業をしたりする小部屋が有る。
御多分に漏れず、私たちもその秘密基地にお邪魔した。
デカいJBLのスピーカーにラジコン飛行機の数々、イージーライダーのポスターにレトロなミシンまで置いてある。
「これカッコイイですね」
真新しい革のウエストバッグを指差し、ウチの相方が口火を切った。
「あぁ、それまだ作りかけなんだよ」
一瞬、私たちの頭の中は、ハテナマークでいっぱいになった。
「えぇ!?コレ作ったんですか?!」
何処からどう見てもプロの仕事にしか見えない革カバンを見て2人とも声を揃えてしまった。
よく見ると、棚には革細工の工具や型紙、売り物にしか見えない革小物が並んでいる。
話を聞いていくと、車のハンドルを綺麗に皮で巻き直したいから革細工を始めたらしい。
意外な所からSさんの車愛を知る事となった。
ツッコミどころ満載なガレージで目的を忘れてしまいそうになったが、今回は240Zを拝見させてもらいに伺ったのだ!

フェアレディ 240ZG
年式:1972年
型式:L24型
レイアウト:直列6気筒SOHC
排気量:2393cc
最高出力:150ps(110kw/5600rpm)
最大トルク:21.0kgm(206N・m)4800rpm
1969年に発売された新型フェアレディZは、L型と呼ばれる名エンジンを積んだ正に名車である。2.4ℓのL24型をつんだ240Zの最上級仕様車240ZGは、後にG(グランド)ノーズと呼ばれるロングノーズとGノーズの為に誂えたヘッドライトカバーと太いタイヤを収める為の純正オーバーフェンダーにリアスポイラーを装備する。海外向けだった240Zは、1971年に国内発売される。

1966年にプリンス自動車を吸収した日産自動車は、スカイラインとフェアレディZの二大フラッグシップを有しているが、プリンス産まれだったスカイラインに対し、フェアレディZは、日産が生み育てて来た車名で有り、純血の日産フラッグシップと言っても良いのかも知れない。
1971年12歳のS少年は、ラリーで華々しい活躍を見せる240Zと出会った。
1977年18歳で車に乗り出した頃、240Zは150万円と高嶺の花だったが、先輩がこれ見よがしに転がしていた。1989年30歳の時、たまたま手に取った雑誌で掘り出し物の240ZGと巡り合い購入。当時120万円と中でも安価な方だったが、常に頭の片隅にあったZに乗った先輩に追いついた気がした。

懐かしい240Zのスペックを見て、走りを想像した貴方!ごめんなさい。今回ばかりは全て忘れてください。なんと!この240Z、そんじょそこらの240Zとは、もはや別次元に居るのです!
幾度と無くエンジンを乗せ替えられ、ノーマル2.4ℓからL28 3ℓ改へ、次にRB26ツインターボ、そして現在は乗りやすさ重視でRB30をベースにノンターボ化(もちろん公認済み)してあるそうです。しかも、それを全て自らの手でやり遂げてしまうとは驚愕である。
Sさんは曰く
「無い物は作れば良い」実際に削り出しパーツなどは旋盤と呼ばれる工作機械でいとも簡単に作ってしまう。これは日頃、車検やオイル交換などの作業に忙殺されているプロ達も見習わなければならないだろう。

この240ZG改、その走りは骨董品とは思えない。フレームは補強され、軋む事も無く現代のエンジンパワーを受け止める。
サスペンションも専門店の新型の物に換装され、手に取るように路面状況を教えてくれる。安心してアクセルを踏むとトルクフルなエンジンは下からスムーズに回り、そのパワーを太いタイヤに伝える。
オーナーはアクセルを踏み込み、尻の下のリアタイヤがアスファルトに食らいつくのを感じながら10代のあの頃へ戻って行く。
そしてあの頃の先輩のZを悠々と追い抜いて行く。
文:コマコーヒー 駒田匡俊
コマコーヒー 国府ガレージ・カフェ 要予約
コマコーヒー 宮川朝市店 体調、天候をみて営業
コマコーヒー 国分寺店 そのうちオープンします
0577-72-4001
現在24日まで夏休みを頂いております。
m(_ _)m
旧吉城郡限定ですので、こちらにも載せておきます。
お時間ある方は、どうぞ。
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1959年生まれ Sさん
ニッサン フェアレディ 240ZG
私たちが、Sさんのガレージにお邪魔したのは、梅雨の晴れ間の事だった。
広いガレージには、240Zと32のGTRがタイムスリップしたかの様にピカピカの状態で鎮座している。
ガレージの奥には、仲間達と悪巧みしたり、篭って作業をしたりする小部屋が有る。
御多分に漏れず、私たちもその秘密基地にお邪魔した。
デカいJBLのスピーカーにラジコン飛行機の数々、イージーライダーのポスターにレトロなミシンまで置いてある。
「これカッコイイですね」
真新しい革のウエストバッグを指差し、ウチの相方が口火を切った。
「あぁ、それまだ作りかけなんだよ」
一瞬、私たちの頭の中は、ハテナマークでいっぱいになった。
「えぇ!?コレ作ったんですか?!」
何処からどう見てもプロの仕事にしか見えない革カバンを見て2人とも声を揃えてしまった。
よく見ると、棚には革細工の工具や型紙、売り物にしか見えない革小物が並んでいる。
話を聞いていくと、車のハンドルを綺麗に皮で巻き直したいから革細工を始めたらしい。
意外な所からSさんの車愛を知る事となった。
ツッコミどころ満載なガレージで目的を忘れてしまいそうになったが、今回は240Zを拝見させてもらいに伺ったのだ!

フェアレディ 240ZG
年式:1972年
型式:L24型
レイアウト:直列6気筒SOHC
排気量:2393cc
最高出力:150ps(110kw/5600rpm)
最大トルク:21.0kgm(206N・m)4800rpm
1969年に発売された新型フェアレディZは、L型と呼ばれる名エンジンを積んだ正に名車である。2.4ℓのL24型をつんだ240Zの最上級仕様車240ZGは、後にG(グランド)ノーズと呼ばれるロングノーズとGノーズの為に誂えたヘッドライトカバーと太いタイヤを収める為の純正オーバーフェンダーにリアスポイラーを装備する。海外向けだった240Zは、1971年に国内発売される。

1966年にプリンス自動車を吸収した日産自動車は、スカイラインとフェアレディZの二大フラッグシップを有しているが、プリンス産まれだったスカイラインに対し、フェアレディZは、日産が生み育てて来た車名で有り、純血の日産フラッグシップと言っても良いのかも知れない。
1971年12歳のS少年は、ラリーで華々しい活躍を見せる240Zと出会った。
1977年18歳で車に乗り出した頃、240Zは150万円と高嶺の花だったが、先輩がこれ見よがしに転がしていた。1989年30歳の時、たまたま手に取った雑誌で掘り出し物の240ZGと巡り合い購入。当時120万円と中でも安価な方だったが、常に頭の片隅にあったZに乗った先輩に追いついた気がした。

懐かしい240Zのスペックを見て、走りを想像した貴方!ごめんなさい。今回ばかりは全て忘れてください。なんと!この240Z、そんじょそこらの240Zとは、もはや別次元に居るのです!
幾度と無くエンジンを乗せ替えられ、ノーマル2.4ℓからL28 3ℓ改へ、次にRB26ツインターボ、そして現在は乗りやすさ重視でRB30をベースにノンターボ化(もちろん公認済み)してあるそうです。しかも、それを全て自らの手でやり遂げてしまうとは驚愕である。
Sさんは曰く
「無い物は作れば良い」実際に削り出しパーツなどは旋盤と呼ばれる工作機械でいとも簡単に作ってしまう。これは日頃、車検やオイル交換などの作業に忙殺されているプロ達も見習わなければならないだろう。

この240ZG改、その走りは骨董品とは思えない。フレームは補強され、軋む事も無く現代のエンジンパワーを受け止める。
サスペンションも専門店の新型の物に換装され、手に取るように路面状況を教えてくれる。安心してアクセルを踏むとトルクフルなエンジンは下からスムーズに回り、そのパワーを太いタイヤに伝える。
オーナーはアクセルを踏み込み、尻の下のリアタイヤがアスファルトに食らいつくのを感じながら10代のあの頃へ戻って行く。
そしてあの頃の先輩のZを悠々と追い抜いて行く。
文:コマコーヒー 駒田匡俊
コマコーヒー 国府ガレージ・カフェ 要予約
コマコーヒー 宮川朝市店 体調、天候をみて営業
コマコーヒー 国分寺店 そのうちオープンします
0577-72-4001
現在24日まで夏休みを頂いております。
m(_ _)m
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Posted by ドト at 18:45│Comments(0)
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